インターネットが私たちの生活に欠かせないものとなった現代、その起源がどこにあるのかご存知でしょうか。
毎日何気なく使っているWebサイト、メール、SNSなどは約半世紀前に始まった画期的なプロジェクトの延長線上にあります。
本記事では現代インターネットの先駆けとなったARPANET(Advanced Research Projects Agency Network)の誕生から発展、残した遺産までを解説できればと思います。
ARPANETの誕生と初期の発展
構想から実現へ:冷戦時代の革新的ネットワーク
アーパネットの構想は、J.C.R.リックライダー(通称「リック」)という先見の明を持った科学者が1962年に提案した「コンピュータのグローバルネットワーク」というアイデアに端を発します。
当時はまだ大型コンピュータが部屋いっぱいを占める時代、コンピュータ同士を繋ぐという発想自体が革新的でした。
リックライダーは米国国防総省の高等研究計画局(ARPA、後のDARPA)に在籍し「銀河間ネットワーク」という壮大なビジョンを描きました。このビジョンは地理的に離れた研究者たちがコンピュータを通じて共同研究できる環境の創出を目指していたのです。
ARPANETの開発において中心的役割を果たしたのはレナード・クラインロックです。
彼はMITで「キューイング理論」に関する博士論文を発表し、これが後のパケット交換技術の理論的基礎となりました。
パケット交換とは、データを小さな「パケット」と呼ばれる単位に分割して送受信する技術で現代のインターネット通信の根幹を成しています。
歴史的な最初の接続:4つのノードから始まったネットワーク
1969年10月29日、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)とスタンフォード研究所(SRI)のコンピュータ間でARPANETを介した最初のメッセージ送信が成功しました。この瞬間はしばしば「インターネット誕生の瞬間」と呼ばれています。
当初のARPANETは米国南西部の4つの主要な研究機関(UCLA、スタンフォード研究所、カリフォルニア大学サンタバーバラ校、ユタ大学)を接続する形で始まりました。
各機関のコンピュータはネットワーク上のホストとして機能し、史上初の広域ネットワーク接続を実現したのです。
ネットワークが拡大するにつれ、異なるコンピュータ間の通信を可能にするプロトコル(通信規約)の開発が必要となりました。
初期のARPANETでは「ネットワーク・コントロール・プログラム(NCP)」と呼ばれるプロトコルが使用されていましたが、これは後に現代インターネットの標準となるTCP/IPに取って代わられることになります。
ARPANETがもたらした革新的技術
メールからVoIPまで:コミュニケーション革命の始まり
ARPANETは単なる技術実験の場にとどまらず、今日私たちが当たり前のように使っている多くの技術の誕生の場となりました。最も注目すべき革新の一つが電子メールの発明です。
1971年、コンピュータ・エンジニアのレイ・トムリンソンはARPANETに接続された異なるホスト間でメッセージを送受信できるシステムを開発しました。
トムリンソンの最大の貢献は、ユーザー名とホスト名を区切る「@」記号の導入でしょう。この単純でありながら画期的なアイデアは今日も電子メールアドレスの標準形式として使われ続けています。
電子メールの導入は爆発的な成功を収め、1975年までにはARPANETのトラフィックの75%を占めるようになりました。当初は研究目的で設計されたネットワークが人々のコミュニケーション手段として急速に進化していったのです。
また、1971年にはラリー・ロバーツ率いるチームが「ネットワーク・ボイス・プロトコル」を開発しARPANET上での音声通信を可能にしました。さらに1974年には、ボイスオーバーIP(VoIP)の最初のデモンストレーションが行われています。
この技術はインターネット回線を通じて音声通話を可能にするもので、後のSkypeやZoomなどのサービスの先駆けとなりました。
ファイル共有からゲームまで:多様なアプリケーションの誕生
1973年には、コンピュータ間でのファイル転送を可能にする「ファイル転送プロトコル(FTP)」がARPANETに導入されました。
これによりデジタルファイルの共有が可能となり、現代のクラウドストレージサービスや各種ファイル共有システムの基礎が築かれたのです。
ARPANETはエンターテイメントの分野にも影響を与えました。1973年にはネットワークを利用した初のコンピュータゲーム「迷路」が実演され、将来のオンラインゲームの発展に道を開きました。さらに1970年代後半には「アドベンチャー」と呼ばれる最初のオンラインRPG(ロールプレイングゲーム)がARPANET上でプレイされるようになり、現代のMMORPG(大規模多人数参加型オンラインRPG)の先駆けとなったのです。
このようにARPANETは単なる研究ネットワークを超えて様々なアプリケーションやサービスの実験場として機能し、現代のインターネットの多様な用途の基礎を築いていきました。
グローバルなネットワークへの進化

国際接続の始まり:SATNET、USENETの登場
ARPANETの成功はネットワークを国際的に拡張する動きを促進しました。
1973年には米国と欧州を衛星回線で結ぶ実験的ネットワーク「SATNET」が誕生しました。SATNETは異なるネットワーク間の相互接続技術の開発に貢献し、地理的に離れた地域間のデータ通信を実現しました。
1979年に考案され1980年に設立された「USENET」は世界規模の分散型ディスカッションシステムとして発展しました。
ユーザーは「ニュースグループ」と呼ばれるカテゴリごとに議論を行い、情報や知識を共有することができました。USENETはインターネットが広く普及する以前の重要なコミュニケーション媒体として機能し、特に技術コミュニティにおける知識共有の場として重要な役割を果たしました。
1972年に開催された国際コンピュータ通信会議ではARPANETの最初の大規模な公開デモンストレーションが行われ、世界中の研究者や技術者にネットワーク技術の可能性を示しました。この会議はコンピュータネットワークの国際的な協力を促進する重要な契機となりました。
コミュニティの形成:オンライン文化の芽生え
ARPANETは技術的なインフラを提供しただけでなく「インターネット・コミュニティ」という概念の誕生にも貢献しました。
地理的に離れた研究者たちがネットワークを通じて共同研究できるようになり、物理的距離を超えた協力関係が生まれたのです。
1973年にカリフォルニア州バークレーで始まった「コミュニティ・メモリー・プロジェクト」は最初のコンピュータ化された掲示板システムとオンライン・コミュニティとして注目されました。
このプロジェクトは「バーチャル・コミュニティ」という概念の発展に大きく貢献し、後のBBSやオンラインフォーラム、そして現代のSNSへと繋がる流れを作り出しました。
これらの取り組みは単なる技術的な実験を超えて、人々がネットワークを通じてどのように交流し、協力し、共同体を形成するかという社会的実験でもありました。
現代のオンラインコミュニティやソーシャルメディアの原型はこうしたARPANET時代の実験から生まれたと言えるでしょう。
ARPANETの遺産と現代インターネットへの影響
TCP/IPの採用とインターネットへの移行
ARPANETの重要な転換点は1983年1月1日に行われたネットワークプロトコルの切り替えでした。それまで使用されていたNCP(ネットワーク・コントロール・プログラム)から、現在も使われているTCP/IP(Transmission Control Protocol/Internet Protocol)へと移行したのです。
TCP/IPの最も重要な特徴は「インターネットワーキング」の実現でした。これは異なる種類のネットワークを相互接続し、一つの大きなネットワーク(ネットワーク・オブ・ネットワークス)として機能させる技術です。この技術によりネットワークの一部が損傷しても通信を継続できる堅牢な構造が実現しました。
なお、ARPANETについてよく言われる「核攻撃から生き残るために設計された」という説は単純化されすぎた見方です。
分散化された構造による耐障害性は確かに設計に組み込まれていましたが、主な目的は研究機関間のリソース共有と異種ネットワーク間の通信を可能にすることでした。核攻撃への耐性が唯一の、あるいは主要な設計目標だったわけではありません。この点については歴史家の間でも様々な見解があります。
1989年、ARPANETはNSFNET(全米科学財団ネットワーク)への接続を開始し徐々に移行していきました。NSFNETはARPANETの後継として機能し、最終的に現代のインターネットへと発展していくことになります。
インターネット文化への貢献とセキュリティの課題
ARPANETは単に技術的な基盤を整備しただけでなく「ネットワーク文化」とも言うべき新しい行動様式や慣習の形成にも大きく貢献しました。初期のネチケット(ネットワーク上のエチケット)、協調的な問題解決、オープンな情報共有といった価値観はARPANETのコミュニティから生まれ、現代のインターネット文化に引き継がれています。
一方でネットワークの拡大はセキュリティの問題も浮き彫りにしました。1988年に発生した「モリス・ワーム」は史上初のインターネット・ワームとして記録されています。コーネル大学の大学院生ロバート・モリスが作成したこのプログラムはARPANETに接続された多くのコンピュータに感染し、サービスの大幅な中断を引き起こしました。
この事件はコンピュータネットワークのセキュリティに関する認識を大きく変え、情報セキュリティという研究分野の重要性を世に知らしめる契機となりました。今日のサイバーセキュリティ対策の多くはこの時の教訓を基に発展してきたものなのです。
FAQ ARPANETについて
ARPANETは本当に核攻撃に耐えるために開発されたのですか?
これは一般的な誤解です。
ARPANETの分散型設計は確かに耐障害性を提供しましたが、主な目的は研究機関間の計算資源の共有と、異種ネットワークの相互接続技術の開発でした。
核攻撃への耐性は主な設計目標ではありませんでした。
なぜARPANETは廃止されたのですか?
ARPANETは1990年に正式に廃止されましたが、これは技術的な失敗ではなく、むしろ成功による「卒業」と言えます。
より高速で拡張性の高いNSFNETへの移行が進み、また商用インターネットサービスの登場により研究主体のARPANETの役割は終了したのです。
ARPANETの最も重要な遺産は何ですか?
技術面ではTCP/IPプロトコルとパケット交換技術が挙げられます。
これらは現代インターネットの基盤となっています。また社会的には電子メールなどの新しいコミュニケーション手段の開発や、地理的制約を超えた協力関係を可能にしたことが重要な遺産と言えるでしょう。
ARPANETは正式には1990年に廃止されましたが、その基盤技術や設計思想は現代のインターネットに受け継がれ、私たちの生活に計り知れない影響を与え続けています。

