アラン・ケイのダイナブックとは?
Dynabookは、1968年にアラン・ケイによって提唱された、時代をはるかに先取りしたコンセプトである。
このコンセプトは、ケイがユタ大学の博士課程に在籍し、コンピューター・グラフィックスとデザインの先駆的な研究に触れていたときに生まれた。
アラン・ケイのDynabookの構想は、ノートパソコン程度の大きさと重さで、グラフィカルなインターフェイスと入力用のキーボードを備えたデバイスというものだ。

簡単にいえばそのコンセプトは、コンピュータを主に科学者やエンジニアが使用する数字の計算機という概念から、よりパーソナルで誰でも使用できるインタラクティブなデバイスへとシフトすることを想定していた。
そしてDynabookという名前は、そのダイナミックな性質を反映したもので、単にコンテンツを消費するためのデバイスではなく、新しいアイデアを生み出し、表現するためのクリエイティブなツールとして設計された。
子供たちのための強力な学習ツールとなることを意図しており、子供たちがアイデアを探求し、実践しながら学ぶことができる創造的な環境を提供することに重点を置いている。
残念ながら、当時の技術的な制約により、ケイがゼロックスPARCに在籍していた間にダイナブックが機能するバージョンが作られることはなかった。
未完のコンセプトだが大きな影響
完全に実現されたダイナブックが作られることはなかったが、このコンセプトはパーソナル・コンピューティングの発展に大きな影響を与えた。
Dynabookのコンセプトの要素は、ラップトップ、タブレット、スマートフォンなど、今日私たちが使っている多くのデバイスに見ることができ、コンピューティングデバイスの分野の未来を遥か昔に予想、また進路づけたともいえる。
GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)はdynabookの提案の主要な構成要素であり、パーソナル・コンピューティングにおけるGUIの最も初期の言及の1つである。また今日のインターネット対応デバイスのように、ネットワークに接続して通信することも想定していた。
東芝とダイナブック
現在ダイナブックを実際に体現したデバイスは存在しないが東芝はアラン・ケイに触発された開発者がいたことからノートパソコンの製品ラインにこの名称を使用していた。これらのデバイスはケイのビジョンのすべての面を満たしているわけではないが、この名前はダイナブックのコンセプトがポータブル・コンピューティングの発展に大きな影響を与えたことを示すものである。また東芝のダイナブックはケイ自身も認知しているものだ。
ダイナブックの源流
そしてDynabookのビジョンの中心的要素であるグラフィカル・ユーザー・インターフェイス、マウス、デスクトップ・メタファーを初めて搭載した初期の画期的なコンピュータであるゼロックス・アルトの開発に大きな影響を与えたことも忘れてはならないだろう。
アラン・ケイはインタラクティブな描画システムSketchpadを開発したアイヴァン・サザーランドや、プログラミング言語Logoを開発したシーモア・パパートといった画期的な研究者たちに影響を受けていた。そして興味深いことに彼の構想ではダイナブックはコンピュータのハードウェアだけでなく、ソフトウェアにも関わるものだった。彼はこの構想に取り組む中で、スモールトークと呼ばれる新しいプログラミング言語を構想した。Smalltalkのアイデアは、Dynabookの主なユーザーである子供たちがプログラムを書けるような、学びやすく使いやすい言語にすることだった。zeroxのAltoにはこのスモールトークが実際に搭載されていた。
ダイナブックの目指したもの
Dynabookの重要なアイデアのひとつはシミュレーションを作成するためのプラットフォームを提供することでもあり、子どもたちが数式から科学原理まで、さまざまな概念を動的に探求できるようにすることだった。
ケイはDynabookを、創造的な表現の可能性を秘めたメディアだと考えていた。 ワイヤレス・ネットワーク、高解像度スクリーン、低消費電力など、思い描いた技術的要件は、60年代後半から70年代前半に利用可能だったものをはるかに超えていた。
彼は適切なツールと環境が与えられれば、子どもたちは自主的に学習し、創造性を発揮することができるという信念をもっていた。
Dynabookは60年代後半から70年代のコンセプトであるにもかかわらず、特定のデバイスとしてではなく、アイデアとして、つまり、本のように身近で手軽な、パーソナルでポータブルな情報マニピュレーターの理想として、今日もなおデバイス開発の分野で存在している概念である。

